ハラスメントと言われる本当の理由

1月以降、研修講師としてハラスメント研修をさせて頂く機会が多く、改めて上司と部下、メンバー間のコミュニケーションに課題感がある組織が多いことに気付かされます。

コミュニケーションが浅くなってしまうのには色んな環境や個の性格などの要因があるのだろうけれど組織で働く方々を研修講師・コーチとしてご支援していて感じるのはここ1-2年での人と人との対話力の衰え。

「ハラスメント」を恐れて深く関わらない。本当の「ハラスメント」の意味を言語化できていないのに。(因みにご参考までに、厚生労働省のHPに、ハラスメントの定義の記述があります。宜しければご覧になってみてください。)
 

リモートワークが便利、楽と言って1人で仕事を完結してしまう。リモートワークの本質的な目的・メリットを正しく言語化できていないのに。

こんなことが多くの現場で起きているなぁと感じます。
 

【ハラスメントと言われる本当の理由】


そもそもハラスメントとは、人と人の間に何がない状態なのでしょうか。
何がないから「ハラスメント」「ハラスメント」と言って、相手と関わることにシャッターを下ろしているのでしょうか。

私なりの結論は、人と人との間に「感情」の丁寧なキャッチボールがないからだ、と考えます。自分がどんなことを感じたのか、相手にボールを投げ、そのボールを相手がキャッチする。そしてその感情のボールをキャッチして、自分がどう感じたかを投げ返す。この丁寧なキャッチボールが足りないのだと思います。


ちょっと例を挙げてみましょう。例えば無表情でオフィスに出社した部下との会話。こんなことが起きていないでしょうか。
 

<パターン①>

部下:(うつむき加減でオフィスに入ってくる。)
上司:(なんだ、不機嫌だなぁ。挨拶もせず、と思って挨拶もなく1日が始まる。)

<パターン②>

部下:(うつむき加減でオフィスに入ってくる。)
上司:なんだよ、挨拶もせずに。
部下:あっ、おはようございます。



確かに、挨拶なくオフィスに出社する部下の在り方には大いに課題はありますが、相手にも体調不良や目に見えない内側に抱えている事情がある場合もあります。それを想定して、こんな伝え方が出来ると、良いのかもしれません。


<パターン③>
部下:(うつむき加減でオフィスに入ってくる。)
上司:おはよう。何だかちょっと元気がない表情に見えて心配だけど何かあった?
部下:あっ、ご心配おかけしてすみません。実は昨日・・・・



このように、(自分から相手がどう見えて、どう感じた)+(疑問形)で聞くと、相手は自分の感情を返してきやすくなるものです。なぜならば、自分が先に自分の感情を相手に対して出してきているからです。


対話力がない人とは、その対話に感情(心)がこもっておらず、To doのタスクベースで論理(頭)だけで会話をしている人のことを指す、と私なりに定義しています。論理(頭)だけで会話をしていても、相手との心の境界線は探り合うことは出来ません。どこまでお互い近づけるのか、どんな話まで出来る関係性にあるのか、その心の境界線とは、感情のキャッチボールを日頃から小さく、頻度高く重ねている先に、お互いの間で見えるようになるものです。


どうしても相手から拒絶されることに対する恐怖が勝ってしまう最近の我々は、感情を伴わない、差しさわりの無い、まるでロボットでもできるような会話でとどめてしまう傾向があります。特にリモートワークにより、顔が見えない、距離がある、息遣いを感じられない対話においては、よほど意識しない限り、「言いたい事だけを言う、To do のタスクベースの会話」になりがちです。一方的に言いたい事だけを言われる相手との間では、心の境界線が探り合えていないので、ある時とっさに言われた言葉に、相手は拒絶感を持ち、「ハラスメント」という印籠を突き付けて、あなたとの間に強制的に境界線を引くのです。


極端な話、日頃から丁寧な感情のキャッチボールをし合えている相手であれば、握手を求められても、肩を叩かれても、気にならないものです。
 

​​​​​​​感情の丁寧なキャッチボールが出来なくなってきている背景

言語は人類特有の能力であり、人は人と関わり合いながら、様々な感情を満たすべく、ここまで文明を発達させてきました。話し言葉、書き言葉(手紙・文書)を通じて、相手にどう自分や伝言を受けた人の思いを正しく伝えるか、相手の立場に配慮しながら伝える努力をしてきた先人の行動の先に、今の我々の生活がある、と言っても過言ではないでしょう。


しかしながら、昨今のインターネットやスマホ・SNSの発展により、歴史は大きく変わった気がします。どう変わったか、大きく2つがあげられるでしょう。
 

① 「伝える」という行為に対する重みが変わってきたこと。「伝える」ために、静かな時間を取って考える、という行為が減ってきたこと。
 

② 脳内が溢れる情報でうるさすぎて、感情を司る大脳辺縁系が優位になって、すぐ相手の言動に反応してしまいがちになっていること。(静かに相手を慮りながら理性的に伝える、人間が発達させてきた大脳新皮質を活かせていないこと。)


大切な人と、丁寧な感情のキャッチボールが出来ていない状態にある場合、上記の2点を踏まえて、ご自身の状態を少し内観して整えていくことも大切かもしれません。スマホに脳みそが支配されていては、感情の丁寧なキャッチボールは出来ませんから。
 

​​​​​​​仕事とは、心と心を通わせ合いながら行うもの


仕事とは、本来人と人との間で生じるもの。そしてそれぞれが持つ「心」を探り合いながら、様々な感情を味わいながら行うものだと、過去25年余り働いてきた経験から感じます。「心」と「心」を通わせ合う会話がない限り、互いの心の境界線の差は縮まらないし、分かり合えないのだと思います。


多様な人種から成り立つアメリカでは、自分が感じたことをストレートに相手にぶつけ、「自分はこう思う」と真剣に感情のキャッチボールを重ねながら、相互理解を深めていくものです。以心伝心で、自分が感じていることを相手に向けて出さない限り、多様な価値観を持つ世代からなる組織において、相手との心の境界線を探り合いながら、相互理解&相互信頼を築くことは難しい、と思います。


人と関わる体験を通じて得られる感情。この感情を宝物のように扱うと、その先にある自分や相手のニーズに気付けるものです。人との関わりにおいて、自己理解が深まり、自分が何に感情を揺さぶられるのかが、分かるようになるものです。


「どうせあなたに言っても分からないでしょ」


と、言葉にすることを諦めて内側に貯めこんで、勝手に絶望していても、相手との心の境界線は縮まらず、相手が心の境界線を踏み間違えて「ハラスメント!」と言って無意識・無自覚に相手を傷つけ、遠ざけてしまう。とても残念だな、と思います。


コミュニケーションは試行錯誤あってのこと。試行錯誤の先に、感情のキャッチボールの先に、分かり合える、繋がれるという人間の最大の悦びが待っているのだから恐れずに、丁寧にキャッチボールを重ねていこう。私自身への戒めも込めて。

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